THE DINNER SUIT
ディナージャケットの青写真となった
ロイヤル・コート
ヘンリープールのディナージャケット。黒もしくはミッドナイトブルーの
紳士のイブニングウェアとして、ユニバーサルスタンダードになりました
The Dinner Suit—ディナースーツ—
1865年、皇太子、のちの英国王エドワード7世(家族や友人にはバーティという名前で親しまれていました)が、友人であり、おかかえテーラーでもあったヘンリー・プールにサンドリンガム宮殿でのフォーマルではないディナーパーティで着られる短めの丈のコートを作るようオーダーしました。ヘンリーは伝統的なテールコートを短く仕立て、セレスティア・ブルーの生地で皇太子に提案しました。このスタイルはそれ以前、つまりヘンリープールの1846年にさかのぼる台帳にも、他のどのテーラーの台帳にもそれらしき記録もイラストも残っていません。ブリティッシュ・ディナージャケット(DJ)はかくして誕生したのです。
このブリティッシュDJについては、ニューヨーク・シティの北部にあるタキシード・パーク・クラブに伝えられた話があります。それはのちに、アメリカの人々に「タキシード」と名づけられることとなったストーリーで、1886年に皇太子がニューヨークを訪問した時からはじまります。皇太子はジェームズ・ブラウン・ポッター氏のあまりに美しい妻コーラに見惚れてしまいました。それがご縁で、夫妻はサンドリンガム宮殿でのディナーと宿泊に招待されることとなります。ポッター氏はロイヤル・プロトコルを知らなかったので、おかかえテーラーであったヘンリー・プールに非公式のディナーに何を着るべきかたずねました。プールは自信をもって、例のセレスティア・ブルーのイブニング・コートが適切であると答え、ポッター氏はさっそくオーダーしたのです。
彼はニューヨークに戻るとタキシード・クラブのおしゃれな社交場に着ていきました。残念ながらヘンリープールの台帳にジェームズ・ブラウン・ポッター氏の名前は見当たりません。しかしながら、タキシード・クラブの創設にかかわったウィリアム・ウォルドーフ・アスター、ロバート・ゴレ、オグデン・ミルズ、ピエール・ロリアードといった面々がみな、皇太子がこの初代ディナージャケットをオーダーした1860年代のプールの台帳に頻繁に登場しています。したがって、これらのおしゃれな社交界の人々が皇太子のディナージャケットを模してニューヨークの社交会(のちのタキシード・クラブ)に流行らせたことは容易に想像できます。このポッター氏のまことしやかな逸話の20年も前に。ともかく、現在世界中でタキシードと呼ばれるこのスタイルはヘンリープールから始まったのです。