ヘンリープール・シニアカッター
アレックス・クック氏インタビュー(2012年10月)

2012年10月、翌年から日本を担当することになるアレックス・クック氏がトランクショーで来日しました。今回は、上司であるフィリップ・パーカー氏と同行ですが、パーカー氏は65歳になるのを機に、トランクショーから離れ、ロンドン本店常勤となります。 パーカー氏を引き継ぐクック氏に、お話を聞きました。5000字ロングインタビュー、お楽しみください。


Alex Cooke(アレックス・クック)
ヘンリープール社
マネージングディレクター
シニアカッター

ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション卒業後、ヘンリープール入社。2013年からマネージングディレクターに就任しました。ここ数年は年間10週にわたって米国トランクショーを担当しています。


━━学生時代からカッターになりたいと思ってたんですか?

ファッションには常に興味を持っていました。高校でたまたま出会ったのが写真でしたので、写真こそ自分のキャリアになると思ってました。それで、大学を受験したんです。ボーマスにはファッション写真で知られる大学があり、マンチェスターの大学がドキュメンタリー写真を中心にしていた大学でした。両方受験したんですけど、ボーマスの方は落ちてしまったんですね。
浪人してボーマスの大学を再受験しようかと思ったんですが、結局1年考えているうちに、やっぱりファッションをやりたいと思い直して、ファッションカレッジに入学したんです。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションです。

━━ファッションの何に惹かれましたか?

母の親友の息子が私の親友でもあり、家族ぐるみの付き合いがあったんですね。それで、その母の親友が有名なブティックをしていました。それが、ボーンフリーという地方の街、どちらかと言えばワーキングクラスの街なんですが、ロンドン以外では珍しく海外のブランドを扱ってたブティックだったんです。
その店では、イタリアやフランスなどの海外デザイナーの服を売ってました。イッセイミヤケやヨウジヤマモトも。日本で言うセレクトショップですね。ファッションショーをしたり、ファッションデザイナーが出入りするような店でした。ロンドン以外でそういうことをやっている店はとても珍しく、さらに、そこが母の親友の店だったことが縁でよく通ってたわけです。母も、私も。
身近にデザイナーを見たり、ショーを見たりするうちに、ファッションの世界に惹かれていったんです。はじめはレディースだけだった商品も、そのうちメンズも売るようになって、結局ファッションをトータルに扱う有名店になりました。私の親友は、今ではその店のバイヤーです。

━━なんていう店ですか?

ポリアンナという店です。今ではカフェも併設するくらいの規模に成長しています。その母の親友は、セレクトショップのパイオニアと言っていいでしょうね。

━━そこで服に興味を持ったんですね。

はじめは、特定のデザイナーというよりは、服そのものに興味がありました。生地や色も含めて。ロンドンのカレッジに進んでからはアレキサンダー・マックイーンに入れ込んで、インターシップのような形態で働かせてもらいましたね。
アレキサンダー・マックイーンのようなデザイナーになりたいと思ったこともありました。ただ、そのうち感じたんです。デザイナーとしてやっていくには、ものすごく才能が必要だ、と。自分はそういうタイプじゃないと思って、テクニカルな部分を磨くことを考えたんです。カッティングなどのテクニカルなことですね。自分にはそれが合っているんじゃないかと思って。
カレッジ時代にパターンカッティングの技術的基本は学んでいたので、アレキサンダー・マックイーンからテクニカルなことは特に学んだというわけじゃないです。パターンカットをさせてもらった訳じゃないですしね。彼の特徴ある服を作る手伝いはいっぱいしましたけど、技術的なことを学んだわけじゃないです。

━━じゃあ、何も学べなかったということですか?

いえいえ、彼からは学びましたよ。
この業界で自分がデザイナーとしてやっていくには無理だな、ということをね(笑)

━━(笑)それくらいマックイーン氏は凄かった、と。

というよりは、ファッション業界はストレスがすごいですよね。足の引っ張り合いもあるし、自分が一番という思いを強く前面に出すし、そういう特別な世界でしたね。この世界にずっといるのは良くないな、と思ったのは正直な気持ちでした。 マックイーンのあと、アクアスキュータムでも働きました。そこはご存じの通り巨大な会社で、マックイーンとは逆に、デザイナーが発揮するクリエイティビティはまず採用されない。マスプロダクト向きじゃない、という理由で一蹴される。生地やディテールなどのデザイナーからの提案も採用されることはないですよね。全くない、ということじゃなく、あくまでも工場生産、マスプロダクトを前提として物事が進んでいくので、そこにクリエイティビティが発揮されることはほとんどない、ということです。なので、このマスプロダクトの世界でのデザイナーということでも、自分は向いていないなと思ったわけです。

━━カレッジでパターンカッティングを学んでいたことも影響したんでしょうか。

確かにカレッジではテクニカルなことを学んだんですが、やっぱりいろんな世界を見てみたかった。なので、マックイーンやアクアスキュータムといった違う世界にも入ってみたということですよね。で、この世界は違う、自分がいる場所じゃないってことが分かったんです。
はじめから、サヴィル・ロウこそ自分の居場所だと思ってたんじゃないんです。そもそもレディースファッションにも興味があったし、デザイナーとしてやっていくことにも興味があったから、マックイーンにも行ってみた。でも違った。

━━マックイーンやアクアスキュータムのあとにサヴィル・ロウに?

アクアスキュータムの後、ブラウンズというセレクトショップでも働きました。もちろんまだ学生なので、インターシップです。
そんないろいろな経験をさせてもらって、そろそろ大学も卒業かなという時期に、サヴィル・ロウのヘンリープールが募集してるよ、という情報が入ってきた。それで、アンガス(アンガス・カンディ氏)とサイモン(サイモン・カンディ氏)に面接してもらったわけです。

━━無事に採用?

ええ。大学を卒業して2週間の休みのあと、すぐにヘンリープールに就職したわけです。

━━新卒でヘンリープールに?

はい(笑)

━━それって、すごくラッキーなことですよね。

ものすごくラッキーですね。ほんとうに。常に募集があるわけじゃないので。実際、最近の4年は新しいアンダーカッターを採用してませんし、アンダーカッターから長い時間をかけてカッターになるので、ひとつのテーラーに3〜4人しかアンダーカッターはいないでしょう。つまり、通常は空きがほとんどないんです。そんな状況なので、私はとてもラッキーでした。

━━では、カレッジで学んだパターンカッティング経験のみで、実践経験がなくて入社したと。

ええ。入社したころは、先輩や上司からは、学生時代に学んだことは忘れなさいと言われました。ただ、やっぱり自分が学んだことは生きているし、今でもそれは活かされているなと感じてます。学生時代のカッティング技術も、レディースファッションも。

━━実戦経験がないアレックスを面接したアンガスとサイモンが、採用決めたのはなぜでしょう。

カレッジに勤務していたメンズファッションの教師がいたんです。彼はイチ(鈴木一郎氏)を教えた先生でもあるんですが、私は彼の授業を取っていた訳じゃなかったんですけど、とても仲が良かった。しょっちゅう彼にいろいろな質問をしに行ってたんです。彼はサイモンとも仲が良かった。ヘンリープールが新人を募集しているという話は、その先生から話が来たんですよ。で、彼が私を推薦してくれたというわけです。私の学生時代を知っている彼が、技術や人柄や性格なども考慮して、ヘンリープールに推薦してくれたんですね。

━━それが25歳の時。

はい、そうです。

━━初出勤の時を覚えてますか?

凄く緊張しました。学生時代は、ひとつの作品をじっくり仕上げる時間がありましたけど、ヘンリープールではそうはいかないですよね。1着を20分でカットしてくれとか、そんな時もあります。でも、初日からしばらくは、上司の皆さんは厳しいことは言わなかったですね。少しずつ慣れて行きなさい、少しずつ早くなって行きなさいと、そう指導してくれました。徐々に慣れていきました。

━━初仕事はなんだったんですか?

パターンを生地に書き写す、ということでした。どことなくトレーニングという感じです。でも、次の日からはもう生地をカットしてました。それはトレーニングじゃなく、本番で。カットした生地を上司のメインカッターに見てもらって、OKが出たらテーラー(縫製職人)に回すという流れをやりました。

━━2日目から本番ですか?

緊張しましたよ、それはもう。

━━では、採寸を初めてしたのは?

3年後です。入社して3年経って、初めて自分の担当という意味で採寸をしました。トラウザースなどは、それまでにパターンを作ったりしていましたね。上司が採寸して、その指示通りのパターンを作ることはやってきてました。でも、自分で採寸して自分でパターンを作る、ということは3年目でしたね。

━━それは、予告されてたんですか?次は君がやるんだよ、と。

ニューヨークでのトランクショーでした。その時のボスはフィリップ(フィリップ・パーカー氏)でしたね。フィルが採寸して、そのアシスタントをしてたんです。いつものようにね。それである時に新しいお客さまがいらっしゃって、いきなりフィルが『はいアレックス、採寸して』と(笑)
それが良かったんだと思います。前日に言われてたら、あれこれと考えたり悩んだりしてたと思います。それが突然だったわけだから、もうやるしかないし(笑)
その新しいお客さまはお若くて、私が担当するとこれからもずっとですので、フィルが私を適任としてくれたんだと思います。フィルも、自分の時もそうだった、と言ってました。
そのお客さまが年配の方でしたら、自分はこんなに若いのに大丈夫だろうか、と変な緊張をしたかもしれなかったですが、若いお客さまに若い自分が採寸を担当するというので、自然に進められたのかもしれませんね。でも、もちろん緊張しましたよ。初めての採寸ですし。緊張を見せないように振る舞いましたけど(笑)

━━入社して3年間採寸出来なかったわけですよね。早くやりたいと思ってましたか?

まったくそんなことは思ってませんでしたよ、ほんとうに。3年間は確かに長いかもしれません。でも、ただ同じ事ばかりしてたわけじゃないです。ひたすら生地を切ってばかりいた、ということでもなく。縫うこともさせてもらったし、他のカッターが採寸して進めている仮縫いをしたこともある。パターンの修正もしましたし、ほんとうにやることはいっぱいありました。そして、将来自分はフィリップのように、採寸して接客して、ということをするんだと、そう信じていましたし、確信があったので、早く採寸させてもらいたいと思ったことはないんです。たとえ1日たりとも、仕事が嫌だな、出勤したくないと思った日はないんですよ。ヘンリープールだけじゃなく、サヴィル・ロウのテーラーでは3年のアンダーカッター経験、つまりアシスタント経験は通常のことです。
でも、たとえ採寸をして担当を持つことになっても、誰かのアシスタントをするという仕事は続きます。今までの上司のサポートは続きます。ただ、少しずつ自分の担当するお客さまが増えていく、ということです。

━━そして、アンダーカッターからカッターへ。

たまたま私がついていた上司が退社することになったんです。その時、新しいカッターを外から雇い入れるか、社内のアンダーカッターを昇格させるか、ということになり、私が選んでもらえたということです。

━━ところで、ニューヨークで初めて採寸したお客さまの服が完成した時のことを覚えてますか?

Sorry(笑)

━━(一同爆笑)

その後、100着も200着も作り続けたので、そういうエモーショナルな感情はなかったです。でも、全ての服がそうじゃないですよ。たとえば、テーブルを作るとしますね。テーブルはテーブルとしてしっかり作られていなくちゃならない。でも、特別仕様のテーブルだとか、何か特殊な意味があるテーブルだとかは、違いますよね。つくる人も、きっと記憶に残る。服もそういうところがあります。特別な思い入れや、シチュエーションがあって、それを作った時は、やっぱり覚えています。
ただ、服を作るということを仕事にはしてますけども、私の仕事はお客さまを幸せにすることです。それが仕事だと思ってます。サヴィル・ロウで一番のカッターは誰か、という問いがあるとすれば、技術が優れているという事じゃなく、お客さまを幸せに出来たカッターが一番なんじゃないかな、と私は思います。いくら技術がすごくても、その服を着たお客さまが喜んでいなければ意味はないと思ってます。
ですので、お客さまのコメントはお聞きしたいですし、気になる部分があれば是非教えてほしいと思います。

━━2013年から日本を担当します。

とても楽しみにしてます。日本は大好きです。清潔だし、みんなとても礼儀正しい。世界中でトランクショーを担当してきましたから、まったく問題ないです。
これから日本のお客さまとお会いしていくのがうれしいですね。





インタビュー:
2012年10月20日 東京にて
(c) 2013 Hnery Poole & Co. All Right Reserved.

▲BACK